僕は11月1日から11月4日という短い期間(4日間)だが、今まで行かなきゃと思っていた東北大震災の被災地に遅れ馳せながらボランティアとして参加してきた。
参加は神戸の「不良ボランティアを集める会」という寛大な会を通じて
http://anythinggoes311.blogspot.com/p/blog-page_02.html
遠野まごころネットへ。
■まずは体験した日程をご説明。
★初日
朝6時45分三ノ宮駅南ロータリー集合7時バス出発。
2時間おきに10分間のトイレ休憩を挟み、お昼はサービスエリアで
とりながら13時間かけて岩手県遠野市の遠野まごころネットの
本拠地に予定通り到着。
初日は作業は一切なし。寝床は畳の敷いた体育館。消灯はなんと22時。
★2日目
起床は朝6時。22時から6時の間は基本的に全ての行動は禁止で
携帯電話などのバイブやアラームすら禁止。
朝ごはんを近所のコンビニに買い出し。
7時20分よりラジオ体操および朝礼。
7時45分それぞれバスに分乗し作業へ向かう(釜石市)。
9時半ごろから作業(僕の場合はガレキ撤去)開始。
午前中10分午後10分と昼休み1時間の休憩があり
15時頃には作業は終了。作業自体は1日5時間弱。
17時頃から滞在者向けのオリエンテーション。
18時過ぎからバスに乗り込み銭湯へ向かう。
夕食をとり22時就寝。
http://tonomagokoro.net/lets-volunteer/tono_bolu_life
★3日目
基本的に前日と同じ(オリエンテーションなし)。
この日もガレキ撤去を予定していたが、不良ボランティアの会の方から
計らいで、陸前高田市と大槌町、大船渡市を視察させてもらう。
この日は仮設住宅に行って住民の方々とコミュニケーション、そして
民家の畑の草むしりを手伝う。
★4日目
起床6時、バス前集合6時20分といささか無理なスケジュール。
全員寝ぼけた顔で記念撮影をし、バスに乗り込み
7時出発。2時間ごとのトイレ休憩、お土産購入、お昼ごはんの休憩を
挟みながら20時に三ノ宮駅南ロータリーに無事到着。
■仕事内容は
基本的にはガレキ撤去。しかし震災直後に報道されたような
ヘドロの掻き出しなどはない。既に諸先輩方のご苦労にて
概ね終わっており、作業自体は特にきつく感じることはなかった。
労働環境も悪くなく持参した防塵ゴーグルも使わなかった。
ガレキ撤去以外にも作業はあり、力仕事だけではない。
仮設住宅などで住民の方々とのコミュニケーションやコミュニティづくり
畑仕事や事務作業など。これらはセンターに求人票が掲示されており
応募して参加することができる。
■滞在と仲間達
11月ということもあって朝晩は冷え込む。現地の体育館は暖房が効いているが
消灯後は消されてしまうので、防寒していないと朝方は寝ていられない。
体育館は仕切りを隔てて男女に分かれている。
食事はファミレスとコンビニ弁当がほとんど。(コンビニまで徒歩10分)
外には煮炊きできるスペースはあるが、ガスは持ち込みしないといけない。
シャワー室があり、使ってないので詳細はわからないが、予約制。
消灯22時は健康な肉体にはちょっと無理があった。
携帯電話の電源などは完備しており、Wi-Fiも飛んでいた。
出会った人達の中には、まるでノマドのようにそこに住み着き、Amazonで
必要なものを買い、現地に送ってもらう人も。また、大学を一年間休学してボランティア活動に打ち込む人も。さらには、より密度の濃い仮設住宅へのケアを目指して住民票まで移し引越しを決意した人もいる。
みんな礼儀正しく前向きで明るく、つまり気持ちのイイ人ばかりだった。
そして老若男女、職業、趣味などばらばらなので、聞こえてくる会話は
多岐にわたり、コミュニケーションも刺激的だった。
■自己完結とそのハードル
「ボランティアは自己完結」と現地に行くと何度も聞かされる。
自分のことは自分でやる。当たり前に聞こえるが
ボランティアが初めてで日常ではないので自己完結できない人もいるかもしれない。
参加した学生さんからの声であったのが、参加するにあたって
装備品が大きなハードルだという。
確かに寝袋、ゴム長靴、踏み抜き防止インソールは元々持ってる人の方が少ないし
それなりにお金がかかる。しかも後々使わないこのボランティアにしか使わない人もいる。
「気持ち」「時間」そして「お金」という大きなハードルを越えなければならない。
これらの装備品は参加者からアイディアが出たが、レンタルというのはあった方が良い。
または、これこそ全国から要らなくなったものを送ってもらうことができないかなと。
■かかったお金
不良ボランティアの会に支払ったのは12000円。これは行き来のバス代。
宿である体育館での支払いは無し。
それ以外にかかるのは、各食事代と銭湯代(150円)、お土産代くらい。
装備品は寝袋は元々持っていたもの、鉄入りの長靴は知人から借り
買ったのはゴーグル(180円)と帽子(800円)レインコート(450円)くらい。
■ここで得られること
独断で言うと、ボランティアは自己満足でいいと思っている。
それが相手のためになって迷惑がかからないのであればという前提条件付きで。
「あなたの為に。」は実は自分の為にやってるはずだ。
それぐらい謙虚な気持ちでやった方がいいと思ってる。
「ここで得られること」ということ自体、自己満足なのだが
得られるのは「そこで体験すること、感じること」。
そして、ここで求められるのは実は、ボランティとしての労働ではなく
体験したこと、感じたことを帰ってから広めること、忘れないことなのではないかと
自分勝手に解釈した。
■災害ボランティ参加のススメ
今後ガレキ撤去も進み、民間企業がビルを建てマンションを建て
報道はその見かけを映しだして復興したと報じるかもしれない。
しかしそこに取り残されていく人達もいるし、形が見えにくいが
一番大切なコミュニティというものが欠如しないか心配だ。
そこには元々祭りもあったろうし、文化もあったろうし、スポーツもあったろう。
助けあったり、励まし合ったりする繋がりがないと復興しても繁栄には至らないのでは。
人のケアや人と人の繋がりこそ行政任せではなくて
民間の人間力によって再生させるべき問題だと思う。
被災地にとってボランティアは今後もとても重要なはずだ。
シロウトでも何かできるはず。気持ちさえあれば。
まずは、そこに立って体験して感じることから始めましょう。
参加は神戸の「不良ボランティアを集める会」という寛大な会を通じて
http://anythinggoes311.blogspot.com/p/blog-page_02.html
遠野まごころネットへ。
■まずは体験した日程をご説明。
★初日
朝6時45分三ノ宮駅南ロータリー集合7時バス出発。
2時間おきに10分間のトイレ休憩を挟み、お昼はサービスエリアで
とりながら13時間かけて岩手県遠野市の遠野まごころネットの
本拠地に予定通り到着。
初日は作業は一切なし。寝床は畳の敷いた体育館。消灯はなんと22時。
★2日目
起床は朝6時。22時から6時の間は基本的に全ての行動は禁止で
携帯電話などのバイブやアラームすら禁止。
朝ごはんを近所のコンビニに買い出し。
7時20分よりラジオ体操および朝礼。
7時45分それぞれバスに分乗し作業へ向かう(釜石市)。
9時半ごろから作業(僕の場合はガレキ撤去)開始。
午前中10分午後10分と昼休み1時間の休憩があり
15時頃には作業は終了。作業自体は1日5時間弱。
17時頃から滞在者向けのオリエンテーション。
18時過ぎからバスに乗り込み銭湯へ向かう。
夕食をとり22時就寝。
http://tonomagokoro.net/lets-volunteer/tono_bolu_life
★3日目
基本的に前日と同じ(オリエンテーションなし)。
この日もガレキ撤去を予定していたが、不良ボランティアの会の方から
計らいで、陸前高田市と大槌町、大船渡市を視察させてもらう。
この日は仮設住宅に行って住民の方々とコミュニケーション、そして
民家の畑の草むしりを手伝う。
★4日目
起床6時、バス前集合6時20分といささか無理なスケジュール。
全員寝ぼけた顔で記念撮影をし、バスに乗り込み
7時出発。2時間ごとのトイレ休憩、お土産購入、お昼ごはんの休憩を
挟みながら20時に三ノ宮駅南ロータリーに無事到着。
■仕事内容は
基本的にはガレキ撤去。しかし震災直後に報道されたような
ヘドロの掻き出しなどはない。既に諸先輩方のご苦労にて
概ね終わっており、作業自体は特にきつく感じることはなかった。
労働環境も悪くなく持参した防塵ゴーグルも使わなかった。
ガレキ撤去以外にも作業はあり、力仕事だけではない。
仮設住宅などで住民の方々とのコミュニケーションやコミュニティづくり
畑仕事や事務作業など。これらはセンターに求人票が掲示されており
応募して参加することができる。
■滞在と仲間達
11月ということもあって朝晩は冷え込む。現地の体育館は暖房が効いているが
消灯後は消されてしまうので、防寒していないと朝方は寝ていられない。
体育館は仕切りを隔てて男女に分かれている。
食事はファミレスとコンビニ弁当がほとんど。(コンビニまで徒歩10分)
外には煮炊きできるスペースはあるが、ガスは持ち込みしないといけない。
シャワー室があり、使ってないので詳細はわからないが、予約制。
消灯22時は健康な肉体にはちょっと無理があった。
携帯電話の電源などは完備しており、Wi-Fiも飛んでいた。
出会った人達の中には、まるでノマドのようにそこに住み着き、Amazonで
必要なものを買い、現地に送ってもらう人も。また、大学を一年間休学してボランティア活動に打ち込む人も。さらには、より密度の濃い仮設住宅へのケアを目指して住民票まで移し引越しを決意した人もいる。
みんな礼儀正しく前向きで明るく、つまり気持ちのイイ人ばかりだった。
そして老若男女、職業、趣味などばらばらなので、聞こえてくる会話は
多岐にわたり、コミュニケーションも刺激的だった。
■自己完結とそのハードル
「ボランティアは自己完結」と現地に行くと何度も聞かされる。
自分のことは自分でやる。当たり前に聞こえるが
ボランティアが初めてで日常ではないので自己完結できない人もいるかもしれない。
参加した学生さんからの声であったのが、参加するにあたって
装備品が大きなハードルだという。
確かに寝袋、ゴム長靴、踏み抜き防止インソールは元々持ってる人の方が少ないし
それなりにお金がかかる。しかも後々使わないこのボランティアにしか使わない人もいる。
「気持ち」「時間」そして「お金」という大きなハードルを越えなければならない。
これらの装備品は参加者からアイディアが出たが、レンタルというのはあった方が良い。
または、これこそ全国から要らなくなったものを送ってもらうことができないかなと。
■かかったお金
不良ボランティアの会に支払ったのは12000円。これは行き来のバス代。
宿である体育館での支払いは無し。
それ以外にかかるのは、各食事代と銭湯代(150円)、お土産代くらい。
装備品は寝袋は元々持っていたもの、鉄入りの長靴は知人から借り
買ったのはゴーグル(180円)と帽子(800円)レインコート(450円)くらい。
■ここで得られること
独断で言うと、ボランティアは自己満足でいいと思っている。
それが相手のためになって迷惑がかからないのであればという前提条件付きで。
「あなたの為に。」は実は自分の為にやってるはずだ。
それぐらい謙虚な気持ちでやった方がいいと思ってる。
「ここで得られること」ということ自体、自己満足なのだが
得られるのは「そこで体験すること、感じること」。
そして、ここで求められるのは実は、ボランティとしての労働ではなく
体験したこと、感じたことを帰ってから広めること、忘れないことなのではないかと
自分勝手に解釈した。
■災害ボランティ参加のススメ
今後ガレキ撤去も進み、民間企業がビルを建てマンションを建て
報道はその見かけを映しだして復興したと報じるかもしれない。
しかしそこに取り残されていく人達もいるし、形が見えにくいが
一番大切なコミュニティというものが欠如しないか心配だ。
そこには元々祭りもあったろうし、文化もあったろうし、スポーツもあったろう。
助けあったり、励まし合ったりする繋がりがないと復興しても繁栄には至らないのでは。
人のケアや人と人の繋がりこそ行政任せではなくて
民間の人間力によって再生させるべき問題だと思う。
被災地にとってボランティアは今後もとても重要なはずだ。
シロウトでも何かできるはず。気持ちさえあれば。
まずは、そこに立って体験して感じることから始めましょう。
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